
佐奇神社 拝殿をぐるりと囲む悪魔のアレ
2020年09月26日

犀川下流、ほぼ河口付近に小さな神社があります。
佐奇神社(さきじんじゃ)です。
場所は田んぼに囲まれた集落の中、車1台分くらいの細い道の途中。
よーく気を付けて探さないと気付かずそのままスルーしちゃうくらい、ちっちゃーい入口。
そんな場所にあります。

これがその唯一の目印、一の鳥居。
石造りの明神鳥居で、左足元には「郷社 佐奇神社」と記した石柱が立っています。
その奥に見えるのが二の鳥居で、これもやっぱり石造りの明神鳥居。
この両鳥居、見た目が同じなので同時に作られたものかなーと思いましたが、鳥居裏面の建立年を見ると違うみたいですね。
一の鳥居が平成2年、二の鳥居が平成12年。
10年の開きがあります。
そう言われてみると、確かに一の鳥居の方がちょーっと黒いシミが多い。
やっぱりお肌の年齢はごまかせないのね・・・。(←?)

二つの鳥居をくぐり境内に入ると、いきなり正面に拝殿。
重々しいマスクでずしーんと構えています。
しかし!
ご覧いただけますでしょうか、この残念感。
建物をぐるりと覆うアルミサッシ。
正面にアルミサッシ!左右にアルミサッシ!
建物半分、ザ・アルミサッシ!
どこから見てもアルミサッシモンスター!
建物全然見えんわーーー!!!!

と、悲しみに暮れながらアルミサッシ内部へ。
一応、サッシの入口には鍵はかかっておらず自由に出入りできます。
そして中に入ると素晴らしいのですよ、細部の仕立てが。
この虹梁(こうりょう)上の彫刻なんかメチャメチャレベル高いですね。
分厚い雲の中をうねうねと泳ぐ龍。
豪快感満点!
しかも2頭います。
でもアルミサッシが邪魔で近くからしか撮影できず、2頭一緒にはフレームに収め切れません(悲)。

こちらは龍の頭。
虹梁の端のはみ出した部分を木鼻と呼ぶのですが、通常ここは雲形文様かあるいはバクの彫刻が施されます。
でもこの神社は龍!
しかも技術がスゴイじゃないですか、精緻でリアルで生命感にあふれてて。
今にもぐぉぉぉーーー!!!と吠え出しそうなくらいの迫力。
でもアルミサッシが邪魔で逆光の角度でしか撮影できず、なんか暗い(悲)。
生で見るともっとカッコイイのになーー・・。

虹梁後部、龍の頭の上付近。
この彫刻も見事じゃないですかー!
細部まで丁寧に彫り込まれた牡丹。
普通この位置に彫刻が来ることはないんですけどね。
だって正面からは見えん場所だし、ここで頑張る必要がない。
でもそんなところまで手を抜かずに作り込む職人魂。
い~い仕事してますゼ!
ここはアルミサッシに関係なくちゃんと撮れたな。
良かった♪良かった♪(笑)

拝殿内部の様子です。
形は正方形。
ちょっと暗くて分かり辛いですが、気合の入り方がハンパじゃありません。
天井は折り上げ格天井だし、上部に装飾されている絵もやけ精彩だし。
こんなちっちゃな神社の拝殿としては、ちょ~っと不釣り合いとも言える程の高い品格。
この拝殿ね、実は加賀藩5代目藩主前田綱紀(まえだ つなのり)の御霊堂を移築したものなのですよ。
元々はここからずっと離れた天徳院ってお寺にありまして、そこから売却されてここに流れてきたらしいんですね。
なんでそんな大事なものを売っちゃったのかと言うと、時代の流れが関係してます。
時は明治、廃藩置県で加賀藩という組織が消滅した事で一番のパトロン(要はカネヅル)を失った天徳院は一気に財政難に陥りました。
その資金繰りの一策として、綱紀公の御霊堂を売っぱらったんですね。
で、それが今ここにあると。
そんな経緯があるのです。

前田家の貴重な遺構を拝殿という形で受け継いでいる佐奇神社。
ちっちゃくて地味だけど、決して失ってはならない大事なお宝を守っている神社です。
訪れた際には、そんな前田家とのつながりを頭の片隅に置いてご参拝ください。
江戸時代から連綿と続いてきた歴史の鼓動みたいなものが感じられますよ!
アルミサッシがなければ。(←まだ言う)
神社と前田家と言えば、金沢城二の丸の能舞台を移築して拝殿に使用している中村神社という所があります。
こちらも興味深くて面白いですよ!
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