
千日山 雨宝院
2019年12月21日

繁華街から犀川大橋を渡り、派出所の脇道を入ってすぐのところに小さなお寺があります。
真言宗雨宝院(うほういん)です。

寺伝によると始まりは天平8年、西暦で言うと736年。
奈良時代になります。
白山を開山した泰澄大師(たいちょうだいし)というエラ~イお坊さんが開いたそうで。
ホント何の変哲もない小さなお寺なんですけどね。
こんなお寺が、ルーツをたどれば奈良時代まで行き着いちゃうなんてスゴイですわな!

門の前には六地蔵。
赤い頭巾と前掛けを付けて、かわいらしくチョコンと立っています。
話逸れますが、六地蔵はなんで「六」なのか知ってますか?
それは仏教思想から来ています。
仏の教えに六道輪廻(ろくどうりんね)ってのがありまして、人は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六つの世界をぐるぐる転生して回ってるそうなんです。
これは人が仏に近づくための修行なんですが、修行だから苦しく厳しいのですわ。
そんな苦しみから救ってくれるのが地蔵菩薩。
六道それぞれに現れ衆生の救済に当たるので、お地蔵さんも六体いらっしゃると、そんな意味らしいです。

六地蔵のいる門をくぐるとすかさずお寺の入口があるのですが、その前に回れ右。
ちょっと右側を見て欲しいのですわ。
天井に大きな鈴、さらにその鈴を鳴らすための縄、正面には格子扉がズラリと並び、扉の上には「金毘羅権現」としたためられた扁額。
明らかに神社の造り。
これは神仏習合時代の名残りです。
神社とお寺は明治時代の神仏分離令によって明確に分けられたはずなのですが、実態はそんなにスパッと簡単に切り離せるものではなく。
今でも神社の痕跡を残したお寺や、逆にお寺の痕跡を残した神社があちこちにあります。

そのもうちょっと奥には再びお地蔵さん。
このお地蔵さん、かつて芸妓のおねーさまが頻繁に参られたそうで。
ここから徒歩5分ほどの所ににし茶屋街ってのがありまして。
そこで働く芸妓さんがお金持ちの旦那さまとの出会いを祈願して、このお地蔵さんにお参りしたそうです。
と同時に、羽振りの悪い旦那とはとっとと縁を切ってくれと、そんなお参りもしてたそうで。
いや~女の人って。
今も昔も。
おカネ絡むと怖いですな~(笑)。

本堂内部はコンパクト。
大きく左右に分かれており、左には雨宝童子(うほうどうじ)、右には大日如来が祀られています。
雨宝童子とは天照大神(あまてらすおおみかみ)の16歳の頃の姿と言われており、右手に金剛宝棒、左手に如意宝珠を携えています。
高さはどうでしょう?30センチほどですかね?
穏やかな顔をした、ちっちゃいちっちゃいお像です。
お寺の寺号である「雨宝院」は、この雨宝童子像からきています。
一方で右側の大日如来像。
暗くてよく見えません。
ただでさえ暗い上に、多分ここで法行の護摩を焚いてるんでしょうね、天井周りはすすだらけ。
なので余計に暗い!暗い!
な~んも見えません。
雨宝童子像も大日如来像も写真撮っちゃいけないみたいなんで、スミマセン、見たい人は現地で直接ご覧ください(汗)。

側面にはこんなものも飾られています。
曼荼羅(まんだら)。
曼荼羅には大きく金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅のふたつがあるのですが、これはそのどちらとも違いますね。
ちょっとレアなタイプかも?

本堂の裏奥に回ると、なんやらお寺とは全然関係なさそうな資料がずらっと展示されています。
これらは全て室生犀星(むろう さいせい)ゆかりの品。
室生犀星とは大正~昭和にかけて活躍した小説家で金沢三文豪のひとり。
雨宝院とは深~い関係にあります。
と言うのも犀星は幼少時代、このお寺に養子として預けられていたのです。
なんでお寺に養子に入ったのかと言うと、実親に捨てられたからなのですが。
しかしそれだけに犀星はこのお寺に深い感謝の心と愛情を持っており、小説家として大成してからは現金を仕送りしてたそうです。
その封筒は今も大事に保管されていて、この展示室で見られます。

1000年以上の歴史を持つ雨宝院。
堂宇は小さく、派手な目玉もないですが。
でも味のあるい~いお寺です。
仏様を拝むもヨシ。
犀星の遺品を眺めるもヨシ。
縁結び・縁切りの願掛けをするもヨシ。
どうか興味の赴くままお楽しみください。
千日山 雨宝院
住所:石川県金沢市千日町 1-3
TEL:076-241-5646
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