
谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館
2019年12月14日

今年の夏、金沢に新しい文化施設がオープンしました。
その名も『谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館』。
金沢にゆかりのある二人の建築家親子の名を冠した、ズバリ「建築」をテーマとした施設です。
珍しいですよね、建築がテーマの施設なんて。
工芸品やアート作品を揃えた美術館。
歴史資料を揃えた歴史博物館。
その地域の風俗・生活習慣を紹介した文化展示館。
特定の人物の生涯や業績を紹介した偉人館、等々。
文化施設の種類は数あれど、「建築」をテーマに据えた施設は、わたしの知る限りここだけ。
全国的にも相当まれなはず。
って言うか、日本中探しても多分ここだけじゃないですかね?

そんな谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館。
既にチラッと書きましたが、谷口吉郎・吉生の両氏は親子で建築家です。
そんな親子館がここに建てられたのにはちゃんと理由がありまして。
実はこの場所、父親の吉郎氏が住んでいた家があった場所なのです。
でも吉郎氏が亡くなったのは1979年。
もう40年も前の話で、息子の吉生氏の拠点は金沢ではなく東京。
その間、この家はどうなってたんですかね?
空き家だったのか、他の親族が住んでたのか、借家にしてたのか。
その辺情報がなく、謎です。
それが2015年、吉生氏が金沢市へ寄贈したとの突然のニュース。
すごいですわね。
世の一般サラリーマンにとってマイホーム1軒持つのは生涯の夢。
その一方で、家1軒ポンッと寄付しちゃう人なんかもいる訳ですから。
谷口さん!!
アンタどんだけカネ持ってんスか!?

寄付当初は、ここには木塀で囲まれたごく普通の木造民家が建っていました。
わたし最初はこの建物を生かして、そのまま博物館に改修するのかな?と思ってたのですが。
まさかのスクラップ&ビルド。
ご覧の通り、以前とは全然違う鉄筋の近代建築がどどーん!できあがりました。
こうして1棟の建物に作り替えられてまず実感したのが。
広っ!
この敷地全部が元々1軒の家だったって広っ!
お父さんもメチャメチャ金持ち!!!
ああ・・おカネの話ばかりでゴメンナサイ・・・(笑)。

建物は地下1階~地上2階の3階構造。
エントランスに続く1階はガラス張りになっており、建物の内外を視覚的に一体化させた開放的な空間になっています。
ここに並ぶのは受付、ショップ、カフェ、ラウンジ。
ゆっくりくつろぐための場所です。
その受付を抜けて奥に進むと、上に登る階段と下に降りる階段。
基本、まずは下の地下1階へ。
この場所は企画展示室となっていて、ふたつの部屋と小さな庭で構成されています。
窓は庭があつらえられている1ヵ所にあるだけで、後は全面壁で封鎖されており、展示物だけに集中できるようになっています。
壁は一面白。
余計な凹凸や装飾もなく、とにかくシンプル。
徹頭徹尾、ただの「箱」。

2階に上がると様相は一変、一気にダイナミックな谷口ワールドへと放り出されます。
父親の吉郎氏が設計した迎賓館赤坂離宮和風別館・游心亭(ゆうしんてい)の再現がどん!と現れるのです。
展示室直前にある自動ドアが何気にニクイですわな。
すりガラスになっていて、この仕切り1枚のせいでその向こうがほとんど見えず。
ぱっと開いた瞬間、抜き打ちで目の前にこの眺めが飛び込んでくる。
イカシますわ!

この造りがまた見事でね。
木の素材を生かした艶やかな柱や梁。
しっとり落ち着いた薄茶色の土壁。
イ草の風合いが優しい畳。
床の間とその横に配されたシンプルな違い棚。
伝統的な和風建築のテイストがふんだんに盛り込まれています。
さらに天井。
室内上部には間を大きく取った棹縁(さおぶち)天井をしつらえ。
通路側は垂木をずらりと並べた斜め天井を配して変化を出し。
その向こうには陽光をきらびやかに照り返す水庭がみずみずしく広がる。
素敵すぎる~♪
さすが国賓クラスをもてなすためにデザインされた部屋。
きっとここで供される料理やお酒なんかも、はてしなく超極上品で。
浮世離れした宴席が、日々繰り広げられてきたんでしょうね。
ああ・・・お金持ち・・うらやましい・・・。(←またカネの話)

そんな谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館。
まだまだ書き切れてない細かなしつらえや見所がいっぱい。
今回の記事、えらく長くなってしまったのでこの辺でもうやめますが、これでもコンパクトに収めたくらいで、書こうと思えばこの倍は書けます。
ここから先はぜひ自分の「目」で確認しに来てください。
谷口親子が残した建築というアート遺産。
もう。
シビレますゼ♪
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