
本願寺金沢西別院 本堂
2019年11月23日

金沢駅から徒歩で行ける場所にぜひ訪れてみて欲しいお寺があります。
浄土真宗本願寺派本願寺金沢別院、通称「金沢西別院」です。
寺の起こりは1339年、室町幕府が始まってすぐくらい。
覚如上人が草庵を建てたのが起源だと言われています。
その頃は今の金沢城がある場所が寺地だったようで、当時は尾山御坊と呼ばれていました。
しかしこの御坊は一向一揆の拠点となった事で、時の権力者であった織田信長と対立。
その部下であった佐久間盛政(さくま もりまさ)によって攻め滅ぼされてしまいます。
ここで一旦壊滅となるのですが、入れ替わりで金沢にやって来た前田利家は、一向衆との融和を図り土地を寄進。
再び寺地を獲得した事で堂宇の建設が始まり、1615年には最初の本堂が完成。
その後火事やら崩落やらで幾度か建て替えが繰り返され、江戸も終わりに近い1849年、現在の本堂が建てられました。
今から170年前の話です。

170年前と言われれば、確かにそんな感じはありますね。
柱の色具合なんか結構黒ずんでますし。
だけどそれが逆に威厳と言うか貫禄と言うか、独特の存在感を放ってて。
どしーん!と構えた堂々たる風格。
サイズは左右に16メートル、奥行き15メートル、ほぼ正方形です。
屋根はすべて黒の本瓦拭きで、見た目ずっしり。
実際重いでしょうね、本瓦をこんだけどっさり並べたら。
相当の強度を備えないと支えられません。

正面はぶっとい角柱がずどん!と降りる力強い造り。
ざっと張り出す向拝屋根(屋根前面のにょきっと出てる所)がぐっと迫って来るようで、なんとも言えない圧力。
さあ来いよっ!参拝者!・・みたいな(笑)。
ここで本堂に入る前に、ちょっと左側に寄り道してください。
この建物、側面の意匠が素晴らしいのです。

どうですこの凝った装飾!
本屋根は切り妻造り、その左右には豪華な千鳥破風をふたつ。
軒下には木彫の装飾を施し、神獣である獅子が猛々しく目を光らせる。
さらによーく見てみると、漆喰壁の中に浮かぶ丸い彫刻は菊の御紋!
なんとこのお寺、母体である京都本願寺が皇室と太いパイプを持っているおかげで、菊の御紋の使用が特別に認められているのです。
ん~セレブリティ♪

そしていよいよ本堂内部。
ここも見どころ一杯ですよ~。
堂内にずどん!ずどん!と配された丸柱。
太いんですわ、1本1本が。
先ほど見た本瓦をぎっしり敷き詰めた重い重い屋根、これを支えるにはやっぱりこのくらいの太さが必要なのでしょう。
目を上に向けると、木と木を繋ぐ組み物がぎっしり!
「出組」と呼ばれる、柱から枝を伸ばして手を広げて支えるような組み物がこれでもかと並んでいます。
もう壮観!

さらに天井は正方形が規則正しく並ぶ格式高い格天井。
正方形の中にさらに細かな正方形が網目の様に配され、ビジュアル的な密度感をぐっと高めています。
空間の造形も見事。
たっぷり高く取られた天井高は頭上に大きなスペースを生み、室内全体を広大な抱擁感で覆い包みます。
まるでそこに立っているだけで仏の深淵な力で守られているかのような、幽玄かつ霊的な空気。
そしてその本堂のメインとなるのが正面にある内陣。
写真撮っちゃダメって言われたので画像をお見せできないのが残念なのですが、まースゴイですよ。
金!金!金!
一面金ピカピン!
金沢仏壇ってド派手で有名ですからね。
そもそも金沢は金箔の一大産地で、なんと国内でのシェアは99%強!
そんな金箔をこれでもかとベッタベタに貼り付け、まばゆいほどのゴールドカラーに輝きまくってます。
仏さまって。
おカネ持ちなのね(笑)。

仏教建築のエッセンスが思う存分堪能できる金沢西別院本堂。
どうぞお越しの際には、柱や梁の隅々までしーーっかりと観察していってください。

本堂手前には同じく江戸期建築である経蔵や鐘楼、さらに入口には明治期に建造された頑強な山門もあります。
これらも必見ですので、ぜひ合わせて見て行ってください。
関連タグ >> お寺 古建築
データベースの接続に失敗しました。