店主たみこの観光案内ブログ

福井城 山里口御門

2019年06月15日

福井城 山里口御門

 

福井県福井城。
かつて徳川家康の次男結城秀康(ゆうきひでやす)が築いた城です。

 

造られたのは関ケ原の合戦直後。
完成まで実に6年もの工事期間を要した大プロジェクトでした。
当時は広大な敷地を4重5重もの水堀で厳重に囲った、強大な大城郭だったそうです。
その影には隣藩加賀百万石の存在があり、万が一前田が挙兵した際、その押さえの城としての役割を想定していたと言われています。

 

そんな福井城の心臓部とも言える本丸西側に設けられた出入り口が山里口御門です。
オリジナルは明治期まであり、今でも古い写真でかつての様子を見ることができます。

それが廃城令のせいですかね、理由と時期はよく分かりませんが、取り壊され一旦は姿を消すことになります。
それが近年になり「県都デザイン戦略」プランの一環として復元構想が浮上し、平成28年に着工、翌年に完成しました。
こうして100年(くらい?)の時を経て、山里口御門が再び我々の目の前によみがえる事となったのです。

 

これがなかなかいい出来で。
戦国ムードむんむん!

 

堀を渡ってまず目の前にそびえるのが棟門(むなもん)。
県産のケヤキ材を使った頑丈な門です。
装飾には至る所に黒金具があしらわれ、重々しく頑強な圧力で迫ります。

 

あーっと、棟門って分かります?
門扉両側に備えられた2本の太い鏡柱と、上部に切妻屋根を備えた構造の門のことです。
この鏡柱の後ろにさらに控え柱を2本据えた門が薬医門(やくいもん)、その控え柱と鏡柱の上に屋根を備えた門を高麗門(こうらいもん)と呼びます。
格的には、高麗門>薬医門>棟門って感じですかね?
さらに棟門の格下的な門に屋根を備えていない冠木門(かぶきもん)ってのがありまして、そのさらに・・・まあいいや、長くなるし(笑)。

 

棟門を抜けると、目の前に現れるのが四角形の空間。
この空間、「枡形(ますがた)」と呼ばれるもので、いわば敵を足止めするためのスペースです。
仮に棟門を破られてもここで敵をとどめ、上空から鉄砲や弓矢を使って袋叩きにするという仕掛けです。

 

その枡形の先にあるのが第二の門となる櫓門(やぐらもん)。
櫓門とはその名の通り、櫓と門が一体となったものです。
櫓上は小さな部屋となっており、ここに兵や武器を配備し、攻めてきた敵を上からガンガン攻撃するわけです。

 

以上のストーリーを敵側目線からまとめるとこんな感じ。

 

・目の前に水堀、細い橋を渡るしかなく大軍で攻めても数の優位を生かせない
・橋の先には棟門。分厚い扉を破るだけでも一苦労なのに、その間にも城からガンガン反撃される
・やっと棟門を開けるとその先にあるのは枡形、でもすぐ先に頑強な櫓門があるので前に進めない。枡形内で立往生してる間に四方八方から鉄砲や弓の雨が降り注ぐ
・櫓門突破、やっと城内に侵入!

 

と、いくつもの関門を乗りえないと城内に攻め入れないのです。
仮に入れたとしても、ここまでで膨大な戦力を削られるわけで。
いや~~恐怖ですな!



福井城の山里口御門。
どうかご訪問の際には、城攻め兵になった気持ちで。
あっちから鉄砲、こっちから弓矢、おおーーっと突然長槍が飛び出したー、なんてイメージしながら歩くと。
生きた心地しませんよ(笑)。

 

櫓門内部は展示室になっていて、自由に観覧できます。
福井城に関する歴史などがつらつらっと見られて、初めて来た人にはとても参考になるはず。
映像資料などもありますので、どうぞ休憩ついでに腰を下ろしながらゆっくりと眺めて行ってください。

 

 

福井城

住所:福井県福井市大手 3-17-1

TEL:0776-20-2051

 




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