
一向一揆歴史館
2018年09月30日

『一向一揆』。
日本史で必ず出てくる用語なので、知らない人はいないでしょう。
とは言え「一向一揆説明して」と言われたら詰まる人も多いはず。
まあ要は一向宗(浄土真宗)の信徒同士が宗教上の結びつきで一致団結し、侍どもに反発した、とそういう事なのですが。
全国で発生した一向一揆の中でも、ここ加賀で起こったものだけはちょっと特異でした。
というのも、そのまま国を作っちゃったから。
順を追って話します。
1335年、富樫高家(とがし たかいえ)が将軍足利尊氏より加賀の地を拝領。
以後この富樫一族が、加賀守護職を代々受け継いでいきます。
まあ今で言えば県知事を世襲制で牛耳っちゃうみたいなイメージですかね。
そのまま仲良くやってけばいいんですが、そこはドロドロの人間劇。
世代が進むにつれて、段々結束が乱れてくるんですね。
よくある身内同士の醜い権力争いというヤツです。
口火を切ったのは七代目の教家(のりいえ)で、弟の泰高(やすたか)とドンパチ。
そのゴタゴタがようやく収まったかと思ったら、今度は十二代目の政親(まさちか)が弟の幸千代(こうちよ)とドンパチ。
もうぐっちゃぐちゃですな。
で、その政親のドンパチの際に出てくるのが一向衆なのです。
とにかく戦力が欲しい政親は、当時ここいら一帯で広大な勢力(武力含む)を持った蓮如上人に目を付けました。
そして「兵隊貸して」と熱烈なヘルプコールを送ったのです。
ここで「貸し」を作っとけば後々美味しいと考えた蓮如は、そのヘルプを快く受諾。
強力な後ろ盾を得た政親は、宿敵(弟だけど)幸千代を打ち破ったのです。
政親にっこり♪
蓮如にっこり♪
両者持ちつ持たれつのWin♪Win♪
・・・・・のはずでした。
が、しかしですよ。
これだけお世話になったにも関わらず。
政親、必殺の手の平返し炸裂!
今度は一向衆を邪魔者扱いして、重税を課すなどの弾圧を始めたのです。
恩を仇で返すこの仕打ち。
そりゃキレますわな、一向衆。
政親許さん!!!!の号令の下、今度は壮絶な政親狩りが始まるのです。
激しく怒る一向衆の士気は高く、政親なすすべなく敗北。
高尾城(たこうじょう)で自害に追い込まれます。
ここに1488年、「百姓の持ちたる国」が出現しました。
要は一揆勢が暴れ回ったら、結果的に国盗りに繋がっちゃったという事ですな。
時は戦国時代。
「国」というのは「大名」が治めるという時代。
そんな中「百姓」が国を治めるというのは、もう例外中の例外でした。
とは言うものの本当に百姓が治めてたのかと言うと、実情はそんな民主的なものではなく。
百姓というよりも、一向衆のバックである京都本願寺の支配力がかなり強かったようです。
この百姓(実質本願寺?)による統治は、なんとその後100年も続き。
度重なる外部からの侵略にも耐え抜いたものの。
最後は織田信長の命を受けた柴田勝家によって、完膚なきまで叩きのめされます。
その激戦区となったのがこの一向一揆歴史館のある鳥越地区。
鳥越城(とりごえじょう)と二曲城(ふとげじょう)を拠点に、勝家の軍勢と最後まで徹底抗戦を繰り広げますが。
勝家の騙し打ちで大将の鈴木出羽守を失うなど、劣勢に劣勢を強いられ。
あえなく落城。
300人余りが残党狩りにあって磔にされ、周囲からは人がいなくなったと伝えられるほど、凄惨な最期を遂げました。
そんな一向一揆の歴史を、さまざまな資料と共に紹介しているのが一向一揆歴史館です。
館内ではショートムービーもあり、ここまで説明した一連の経緯なんかも分かりやすく観られます。
ただまあ。
わたしの私見かもしれませんが。
とにかく血生臭いんですわ。
血で血を洗う戦国の世をリアルに感じてしまうというか。
殺し合いの歴史をまざまざと見せられてるようで。
あんまり気持ちいいものじゃない。
でもこれも人の世の営みなんですよね。
殺し合いの歴史・・・こわい・・・・
一向一揆歴史館。
広島の原爆関連の資料館ほどのインパクトはないと思うけど。
訪れる時は、ちょっと気を張ってお越しください。
あ、隣には道の駅もありますので。
お土産なんかも買えますよ。
地元の味「鳥越そば」などはいかが??
一向一揆歴史館
住所:石川県白山市出合町甲26
TEL:076-254-8020
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