店主たみこの観光案内日記

金沢医療センター 大土塀

2018年09月27日

金沢医療センター 大土塀

 

兼六園から道1本挟んで反対側、大きな病院が建っています。
金沢医療センターです。

 

病院が観光名所って、別にそういう話ではなく、見て欲しいのは病院の周りをぐるりと取り囲む土塀。
結構古くてい~い味出してます。
これ、江戸時代の土塀なのです。

 

金沢で土塀と言えば長町の武家屋敷跡が有名。
藩政期から残る屋敷がずらりと並び、石畳の道の両側に茶色の土塀がつらつらと続く光景は江戸情緒満点!
観光という点から言えば、断然長町武家屋敷跡の方が「絵」になります。

 

じゃあ医療センターの土塀、何がすごいの?ということですが。
規模です。
なんたって病院を丸々ぐるりと取り囲んでいる土塀ですからね。
全長実に282メートル。
もーーデカイんです!

 

なんでこんなデカイのかと言うと、もちろんそこにはちゃんと理由がありまして。
長町武家屋敷跡の方は主に中級武士の住まいが集中してた場所で、各屋敷のサイズもそれに応じた個人住宅サイズ。
それに対して医療センターの方はかつて加賀八家と呼ばれた、加賀藩の重臣が屋敷を構えていた場所。
一般サラリーマンと一部上場企業の社長くらい違います。

 

ここで加賀八家についてちょっと説明しておくと。
加賀藩前田家には八家と呼ばれる重臣がいました。
そのメンバーと禄高は以下の通り。

 

○本多家(50,000石)
○長家(33,000石)
○横山家(30,000石)
○前田家 長種系(18,000石)
●奥村家宗家(17,000石)
○村井家(16,569石)
○奥村家支家(12,000石)
○前田家 直之系(11,000石)

 

いずれも禄高1万石を超える超高収入。
当時1万石で大名ですから、石高だけで言えば大名レベルなのです。
そんな『家来』が8人!
ここに藩主前田家を加え、「加賀には大名が9人いる」などと言われたのは、こういう理由によります。

 

この加賀八家の1人、「奥村家宗家」の屋敷跡が、今の金沢医療センターのある場所なのです。
当然サイズがバカデカイのも納得。

 

なお他の七家の屋敷については、残念ながらもう残っていません。
公園になってたり、学校になってたり。
かつてここに広大な屋敷があったんだという目に見える痕跡は、歴史の時間の中で消滅してしまいました。

 

逆に、ではなぜここの土塀だけは残ったのかというと。
軍が施設として丸々ぶん取ったからです。
地権者の入り組む小さな土地をちまちまと寄せ集めるのではなく、屋敷1つ、それも1万坪を超えるスケールを一括で接収できるのですから、こんな手っ取り早い話はない。
そこで軍がこの土地をごっそり取得して、陸軍病院を建設。
その際土塀はそのまま流用。
やがて陸軍病院は国立金沢病院となり、2004年、現在の金沢医療センターへと変わりました。
こういった一連の流れの中で金沢一の大土塀は現役として使われ続け、「たまたま」生き残ったのです。

 

まあ要するにラッキーだったんですね。

 

「たまたま」生き残った土塀は、気が付けば金沢の大事な文化遺産となり。
今では大切に「守られて」います。
現在の持主である医療センター自身、『この土塀を残していくことは当院の責務である』と明言しています。



金沢医療センターの大土塀。
古い土塀の中に鉄筋建てのビルというミスマッチはあるものの。
そのサイズだけでも見応えは十分。
時間があればぜひ長町武家屋敷跡の土塀と両方見比べて、楽しんでみて下さい。

 

 

国立病院機構金沢医療センター

住所:石川県金沢市下石引町 1-1

TEL:076-262-4161

 




エリア >> 石川県 > 金沢市 > 下石引町

 

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