
香林坊地蔵尊
2018年09月25日

広坂からの大通りと武蔵からの大通りがちょうどぶつかる場所、香林坊交差点。
この交差点の片隅に、ぽつんと小さな祠がひとつ建っています。
香林坊アトリオの前です。
中にはお地蔵さん。
何??なぜココ??
このお地蔵さんが今回紹介する「香林坊地蔵尊」です。
ナリは小さいけど、実はとってもありがた~~~いお地蔵さんなのです。
まあでっかいお地蔵さんなんて見たことないけどね(笑)。
時は1580年、時代は安土桃山。
福井出身の向田兵衛(むこうだひょうえ)という人がいました。
越前朝倉氏に仕えていた人物ということなので、元々は武士だったんですかね?
詳細は不明です。
いずれにせよあっちからこっちへと移住し、町人となって薬種業を営んでいたそうです。
その兵衛が婿養子として迎えたのが光林坊。
なんかお坊さんみたいな名前ですが、はい、お坊さんです。
比叡山の僧侶が還俗し、兵衛の家に入ったそうです。
その際、店の名前を「香林坊」と改めました。
「光林坊」「香林坊」、ちょっと違うんでない?と思われるでしょうが。
「光林坊」だと加賀藩4代目藩主の光高(みつたか)と「光」の字がかぶって恐れ多いということから、文字を変えて「香林坊」にしたとの事です。
そんなある日のこと、兵衛の夢枕にお地蔵さんが現れました。
そしてこう告げたそうです。
「ああ~~やってぇ~~こ~~やってぇ~~こ~んな感じでぇ~薬作れぇ~~ぇぇ~~ぇ~・・・」
と言ったかどうかは分かりませんが、まあそんなような事を言ったらしいです。
早速そのレシピに従って薬を処方して藩主利家に献上した所、まあ目薬だったのですが、なんと病がけろりと治り。
おかげでその後店は大いに繁盛したそうです。
夢のお告げに感謝した兵衛は、その後このお地蔵さんを作って店に祀りました。
守り神ですな。
すると今度は寛永の大火の際、彼の家の前で火がピタリと止まったのです。
本当かなあ??(笑)
それゆえこのお地蔵さまは「香林坊の火除け地蔵」と呼ばれるようになりました。
今、香林坊交差点に安置されているお地蔵さん。
それがまさにこのお地蔵さんなんです。
どう?
すごいでしょ?
見た感じはごくふつーのお地蔵さんですが。
実は霊験あらたか。
素晴らしい実績を持つスーパーお地蔵さんなのです。
ただこの話。
前々から不思議に思ってることがあって。
1580年:向田兵衛が金沢に来る
??年:光林坊が婿養子に入る(店の名前を「香林坊」に変える)
??年:利家の眼病をお地蔵さん薬で治す
1599年:前田利家没
1629年:利高が光高に改名(犬千代→利高→光高)
1639年:光高が家督を受けて藩主になる
??年:あれ?店の名前が「香林坊」になったのはやっぱりこの辺??
ちょっと話の流れと年表が噛み合わんのですわ。
「光高」の名前が出てくるのは「香林坊」より後なんですよ。
なのに「光高」の名前に遠慮して「香林坊」って名前に改めたって。
前後関係おかしくね?
一番スッキリするのが、「光林坊」→「香林坊」に変わったのは後々の話って流れですが。
その辺がどうもはっきりしません。
まあ歴史なんて後からどんどん脚色が入るし。
特別深く考える話でもないんだけどね。
そんな様々な謎に満ちた香林坊地蔵尊。
ミステリーもまたありがた~い功徳のひとつ(?)ということで。
どうかそばを通った折には、手を合わせてお参り下さいませ。
火の車を止めるということで。
商売繁盛にもいいですよ!
香林坊地蔵尊
住所:石川県金沢市香林坊
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